はじめに・・・
今年は、稽古や演武、あるいは生活の中で
太極拳や武術に関連する事項を中心に(それだけではないということです)ふと思ったことを書き留めていこうかと思っております。昨年、北京から戻り、様々な方のご好意と友情に恵まれて、剛柔流空手道桜道場さんをお借りして泰日太極拳練功会の道場を開くことができました。感謝です。
そして教え始めて素晴らしい人達との出会いもあり、また自身の力不足から残念な別れもありました。「一期一会」大切にしようと思っております。「武林一家」という言葉がありますが、武術仲間は本当にいいものです。生徒さんに感謝、友人に感謝、家族に感謝です。それでは本年も、出会える方々よろしくお願いいたします。
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2008年12月14日 年末反省記
今年ももう残すところあと半月、このブログは今年から始めたので1年を迎えることになる。「太極拳随想」は、最初元気よく、かなり密度高く書き始めたのだが、住居移転あたりから次第に遠のき、後半の体調の悪さと忙しさに、書く気力も体力も弱まり、読み返してみて空しくなることも多々ありで、まったくご無沙汰となってしまった。
空しくなったのは、どうも筆ばかりでは駄目だなあという後ろめたさである。
書き記して反省した事項をうまく消化できない、情に流され、稽古ができない
体が突然裏切り始めて動けない、後半は真剣に、「道場しめて自分の稽古だけに戻ろうか」と考えてしまった。
2年ぶりの北京での稽古、恩師黄康輝との再会と稽古は本当に嬉しく、短いながらも充実しており、タイに戻ってからの課題も見えた。ただ自分の足と心臓が弱っていることには愕然とした。尊敬する八卦掌の李衛東老師から、今年は「肺気が弱っている、もっと内功を積みなさい」と御助言頂いた。
11月から楊式も陳式も伝統拳の方を教え始め、ようやく心と体のバランスが取れ始めてきている。特に陳の老架は教えているのをしばし忘れさせてもらえる程、没頭でき、身体が喜んでいるので、あまり無理な予定を立てずに、来年度は(といっても2月の表演大会が終わってからになるが)ゆっくりと稽古を積んでいこうと思っている。
土日の公園での稽古も八卦掌や外部の生徒さんの参加等で、試行錯誤であったが、来年は時間を違えて、仕切りなおし、自分の稽古時間は厳守しようと肝に銘じた。
北京留学以来の断酒も2年ぶりに再開した。ただし梅酒と薬草酒、料理に入る酒はOKにした(笑)。これでお付き合い時間も、睡眠時間も短縮されたので、身体はやはり楽になってきた。(そんなに飲んでいた自分が悪い)来年は修行のやり直しだなあ・・・
2008年11月3日 2年ぶりの北京
北京、風に乗ればバンコクからわずか4時間半、2年前帰タイするまで
「またすぐ来れる、1年に何度か稽古をつけてもらいに飛べばいい」と気楽に考えていた。
甘かった。実際に教えはじめるとそう簡単なものではなかった。今回タイの政治事情のお陰(?)で試合も表演大会も延期、中止され、本来最も忙しいこの時期にわずか1週間弱だったが、ようやく飛ぶことができた。慢性疲労がたたって、10日間の予定が、体調の悪さで出発を遅らせ、困ったときの神だのみ、中医王大夫の、「これは大丈夫だよ、本当の熱じゃない、胃の痛みが抜け切れていないから、今道を開けてあげよう」とわずか9本の鍼で無事に飛ぶことができた。
恩師や旧友との2年ぶりの再会、大好きな北京の家庭料理や道端の煎餅や包子など、胃の痛みはすべて吹っ飛び、食べに食べまくり、もぐりの授業から正式な稽古と朝から晩まで恩師の好意でフルに稽古をいれてもらい・・・
結果、左大腿の肉離れ、慢性疲労と急激な天候変化による発熱、嘔吐と、最後は悲惨だったが、念願の剣の稽古ができ、無事(ではなかったが)に、4日間で習いたかったものも終えることができ、大変満足した北京入りだった。
また王大夫に帰ってきた日の朝、鍼を打ってもらい、「今回はこれは疲労だよ」と呆れられたが、無事に新稽古日程を昨日から始めることができた。周囲からみれば本当に迷惑な人間だろう。
今回、何よりの収穫はタイで知らず知らずのうちに自分の足が弱ってきていることが分ったことだった。生活の変化は怖い。稽古場での稽古に安心し、生活の中での稽古が不十分であったことを思い知らされた。北京人の足は強い。本当に強い。体力も凄い。こうなればもうとにかく歩こうと思う。
北京で習いおえたものを自分の身体で納得いくまで、練習できる楽しみが残り、わくわくしているのに、体が言う事を聞いてくれない。情けないなあ
2008年9月21日 再び「一期一会」
3ヶ月目のブログ更新・・・情けない。言い訳になるものがあるとすれば,7月の母の来タイ、ルンピニ公園近くにコンドミニアムを買ったこと、その内装工事狂想曲(予想はしていたがありえないことの連続!)に引越し、そして9月2日予定だった太極拳表演大会(結局直前にタイの政治事情のため延期)のための稽古と・・・いやそれでも、書こうと思えば書けたはずだ。どうも書く気になれなかったのが本音である。
仕事の事、家の工事のこと、人間関係と本当にいろいろあった3ヶ月で、書くと愚痴になりそうなのが嫌だった。いや愚痴は、結構周囲の危篤な方々に聞いてもらって、跡に残したくなかった。何でも話し言葉で、まな板に乗せて笑い飛ばすのが一番。周囲もこの笑い飛ばす能力にたけた方ばかりで大変助かった。感謝している。
表演大会も2月に延期、11月の試合もどうやら今年はない様子で、目標としていたものが突然なくなったため、自分自身も生徒さんも拍子抜けしてしまった感が強い。ましてバンコクに駐在である方が多いため、先の機会があるかどうかも わからない分、こちらとしては残念無念である。「普段の稽古が本稽古、試合も表演もその結果」などと通常いっておきながら、今回は辛かった。かなり詰めて稽古に励んだ生徒さんの晴れ姿をやはりみたかった。また「一期一会」に戻るしかない。
どうもこういうがっかりした感情を引きずっていたせいか、昨晩は、以前教えていた熱心な生徒で、今は太極拳をやめてしまった人が夢にでてきた。「そろそろ戻っておいで」といった自分が泣いていて、その人も泣いていた。起きた時にあまりにも思いがけない夢だったので、その夢を見た自分にびっくりしてしまった。
最初の老師が「100人教えていても、育つのは一人ぐらいだぞ」っていった言葉を思い出した。「一人育てばいい方だ」と。まだ自分は中国の老師に育ててもらっている身ながら、生徒さんを指導している未熟者なので、同様に感じるのも恐縮だが、つくづくこの老師の言葉をかみ締めてしまう。
タイに戻って以来、忙しさを理由にご無沙汰してしまったこの2年間を反省して、お世話になった老師陣に稽古をつけてもらいに中国に行きたいなとうずうずしている。
2008年4月27日 稽古不足
タイのソンクラーン正月休暇が終わり、20日に日本から戻ってきた。
前日香港で台風があったため、名古屋までの到着便が遅れ
そこから雪崩式に全部予定が変更、2時間遅れたが、
香港空港ですでにボーデイングが始まった次の便を捕まえる為、10分全力疾走、運良く乗れたのはいいが、積み残してしまった荷物とは、バンコクで当然めぐり合えず(当たり前だ、急遽変更となったチェックインが終わり10分間全力疾走でようやく乗れた便に荷物が追いつくはずがない・・・)、荷物などどうでもいいが、預けていた猫のホテルが午後8時までだった為、クレームをつけている夫を残し、タクシー飛ばして何とかこれはセーフ。その後少し荒れ気味の先住猫をあやす必要があった為、もう一匹の新しい猫の迎えは諦め、無事に帰宅。とにかく皆、無事タイの我が家に戻れたことに感謝して、くたくたになって寝てしまった帰タイだった。
というわけで今週はタイ正月明けの初稽古の週だった。ただしまた休暇から戻らない人が多く、クラスは久しぶりに少人数の週だった。古いメンバーとは「何かこの感じ懐かしいねえ」といいながらゆっくりと稽古。
太極拳というのは、限られた形を何度も繰り返し練習するのだが、どれだけやっても腑に落ちない日がある。
自分は日本にいくといつもろくに練習しないい為、なるべく日本にいる時間を短くするのだが(今回も10日足らずの滞在だった。)、にもかかわらずタイに戻ってからの稽古はひどいもので、体が思うように動かない。基本功を繰り返しても、どうも体の芯まで動いている感じがつかめない。重心移動に無理があるため火曜日は当然筋肉痛である。まあ1週間もすれば、また元に戻るのだが、これではいかんなあと毎年思う。マルチェロだったか、黄老師だったか、もうごちゃごちゃになって忘れたのだが、「1日休めば、復帰に3日ぐらいはかかる」といわれた。また(これは確かにマルチエロの言葉だが)、「太極拳は意念の拳法だから気持ちが離れない限りは、退歩しない、が、反対に気持ちが離れれば、太極拳の方から去っていってしまう」とも。クワバラクワバラだ・・・
タイでは正月明けだから、一年の計をまたここで立てさせてもらうにいい機会だこの一年教え始めるようになってから、次第に減少した自分の為の練習を増やそう。
また、あらたにもう一匹ベンガル猫を迎え、2匹の世話で慢性寝不足が続いたが早く立ち直ってブログの更新もしよう!
2008年3月23日 『初心忘れるべからず」
1月からあるタイの方に頼まれて金、土と週2回公園で続けてきた総合太極拳42勢の稽古が一応、型を教え終わって一段落ついた。 正直いって金、土は自分だけの稽古ができる貴重な日なので、最初依頼されたときには、「困ったなあ」と感じたのが本音だった。最初はその依頼者を教えるだけだったのが、途中から飛び込みもあり、最終的に全部習い終えた方は4人となった。陳式でなく制定拳の総合式だったので、気がのらなかったのだが、稽古がはじまると自分がやたら楽しんでいるのがわかってきた。「これは何だろう?」と思いながら気がついた。習う方のやる気なのだ。週に2回、それもせいぜい40分から1時間という短時間で、習われる方の背景はみなばらばら、太極拳歴も随分差があったのにも関わらず、非常に充実した時間を過ごさせてもらえたのは、この生徒さん方の太極拳への情熱、憧れが、ジンジンと伝わってきたからだ。
分段練習を繰り返し、無事に終わるごとに自分自身に拍手を贈っていた方もいた。「わあ~できない!」とか「ああ、むつかしい、でもこの感覚はとてもいいです」などと雄たけびが挙げながら稽古されていた。北京の老師のVCDコピーを「自分練習だけに使ってください」と渡したら、1週間後見違えるような動きになった方もいた。毎日そのVCDを見て練習されたという。みな50代以上の方で、地道な基本功など初めて習う方が殆どだったが、和気合いあいと、しかも真剣に学ばれ、本当にこちらが初心に返る機会を頂いた。
思えば、自分自身も最初の太極拳の老師の動きにひたすら憧れ、怖いぐらいに太極拳にはまっていった。それは、今思えばその老師の動きに憧れたのではなく、その老師自身の「太極拳への憧れ」の方向に、自分自身を載せていたのだと思う。だからその老師からその思いを感じなくなってからは、必死になって同じ思いを感じさせてくれる師を求め続けてきた。現在自分が教える機会を頂いて思うのは、常にこの最初抱いた太極拳への憧れを持続しているかどうかである。
1月からの短期間であったが、それだけにまさに「一期一会」を実践して見せて下さった生徒さん、心からありがとうございます。
2008年2月27日 推手、ああ 推手…
今朝の稽古は陳式19勢、老架式である。まだ始めたばかりの会員が3名ほどいるが、すでに昨年9月ごろからずっとこの套路を稽古されてきた方もかなりいて、その共通項を教えていくのに時々無理があり、それぞれの生徒さんに迷惑をかけている気がする後ろめたいクラスである。
今朝はもうすぐ本帰国となって、にわかに忙しくなった生徒さんが、ひょこっと久しぶりに顔を出してくださった嬉しさもあり、邪道だが、推手勝ち抜き戦なるものをやってみた。本来推手は個人の競技だが、お祭りムードにして、柔道団体の様に二つのチームに分けて大将、先鋒みたいな役割までつけて、遊んでみた。
推手自体まだよくわからないままに、自分の稽古の場として教え始めたばかりであり、そんな先生に習う生徒さんも気の毒だが、確実にいえるのは、この推手練習から中心の捉え方、追いかけ方、腰の転換、力の抜き方等、多くを学んでいることである。「聴勁」とは本当にやっかいなもので、まだ初級の生徒さんにとっては、どうして力を入れないで戦えるのかわからない事が多い。今朝の勝ち抜き戦などは、(なぜか今朝は全員が女性であった為)、東洋のアマゾネス軍団の様で腕相撲の様な趣があった。手で相手の勁を読み、手で処理しないで、体の動きで中心を隠しながら、相手の中心をつかみ、それを見失わないようにぴたっと共に動いていく稽古といえばいいのか(私はこの様な言葉で説明してしまうのだが、人によってもっと的確なわかりやすい言葉があるはずだ)「聴勁」の練習は相手と手をあわせながら最終的には自分との戦いになってくる。「捨己従人」という言葉を体を使って徹底的に練習するのだが、本当に最初はまったくわからないものだろう。それでもそのそのわからなさを繰り返しながら、徐々に相手の勁の方向、強弱、速度に心の耳を傾け、動きが変っていく生徒さんを見ると、「これは自分ももっと稽古に励もう」と本当に嬉しくなってくる。
太極拳の怖さといえばいいのか、深さと言えばいいのか、この推手は(以前も書いたと思うが)、自分の生き方まで変革せざるを得ない手ごわさがあるため、近寄らないで済むならそれでいいと、長年見ないフリをしてきた(タイで自分が求める推手を教えて下さる老師には出逢えなかったのも一因である)。だが、現在は、自分の太極拳を深めるために、いや自分が太極拳に魅力を感じ続けていける為には、入らざるを得ない、両輪の一方だと(注:もう一方は套路練習)今は観念している。この推手の世界に(全くの力違いもいいところだが)、気長に優しく自分を導いてくれた、友人であり、またヨーロッパでも指折りの陳氏太極拳、推手の老師であるマルチェロ・シドッテイには心から感謝している。
2008年2月20日 根本的に大切なもの
K先生から招待頂いてネット上の日記を昨日から初めて読ませて頂き稽古の時に感じていた通りの、いやそれ以上の詩人であり、哲学者であり侍だったと嬉しくなった。世が世なら…いやいつの世にもこの様な人は確かに 存在する。ただ「武」というものが必要であり、尊重されていた古の武人は、多くが、K先生が漂わす風貌、風格を備えていたのではないかと思う。 騙しはきかない、お世辞など無用、他人にだけでなく自分自身への言い訳もせず、真に、素直に、誠意をもって自己をみつめ、自分、他者と交わる。
K先生は「稽古をしているから強くなったり、頭が良くなる。そんな事はなく稽古をする事によって気付くのです。 簡単と思うことが出来ないのは、邪魔をする自分がいるからです。なれば、素直にならなければならないのです。」と記す。
昔の職業上、自分は人の表情や服装、言動にやたら注意がいってしまう事が多い。この様な接し方はもうつまらないので、やめようと心がけてきた。特に太極拳に出会ってからぼ~とした、環境から閉ざしたような、自閉的な方向を望み、また向かってきた感がする。その過程では不義理、不人情にとられても仕方のないような、見苦しさも多々あったと思う。ただ今思うのは、もう分析などという頭の作業でなく、重箱の隅をつつくような些細な事は見えずとも、稽古を通して、体を通して、人の(自分を含めての)大事な局面での偽り、弁解、逃避、誠意、真心、受容等は以前よりも自然にわかるようになってきたことである。他者への感じ方はある意味では楽になり、便利(??)になったが、自己に騙しが効かない分、辛いときも多い。だが実りはその辛さを上回る。本当に感謝である。 もちろん武術武道だけでないのだろうが、武術にであってから、命の重さを懸けて培われてきた動きを身につけていくことにより、からだとこころ内部の細胞が変化し、生を営むに、根本的に大切なものを感じ取ることが、次第に出来てきた思いがする。K先生のお言葉を借りれば、「稽古を通しての気付き」の連続が起っているのだろうか。この感覚が嬉しい錯覚でないことを祈りたい。
2008年2月15日 生徒さんの質問から、「放鬆するには」
「演武中、リラックスするにはどうしたらいいんですか」と今朝公園の稽古中に最近稽古を始めたばかりの年配のタイ人男性から聞かれた。これは本当に自分も完璧な答えがあるのなら教えていただきたい程で、簡単に答えられない。身体的な面から、技術的な面から、精神的な面から、様々なアプローチがあると思う。自分自身、この「リラックス」(中国語では放鬆という)には随分悩んだ。「硬い!」「肩が緊張している!」、「腕に力が入った!」とこれまでどれだけ老師陣に叱咤されてきたことか… 元来男性並の幅広い、いかり肩を持ち、外見からまず不利であり、また根っから小心者で、緊張タイプである故、新しい動作を習うごとに緊張が体中駆け巡り、石のような硬い太極拳を打っていた。
その生徒さんに「簡単ではないのですが、まずは多練、つまり稽古を数多くこなして、その動作に親しむことで、あまり理論から言えないし、言葉では解決できないと思います。しいて言えば、呼吸、意念によって絶えず放鬆を心がけること、動く箇所より腹(丹田)に留意して気を沈めること…」と説明する以外に手はなかった。彼はもっと明確な答えを期待していたのか、納得しない表情で、「技術的な方法を教えてほしい」と粘る。あああ…「そうですね ではまず重心移動からですが・・・」ときっちりと体重を移す練習から説明した。
今まで野口体操からの引用で何度も書いてきたが、「重さの神様」に自分を任す他ないのである。楊式でいえば猫歩、陳式でいえば上歩や擦歩、すべてこの体重を任せきって移す、落とすに尽きるのだと自分は思っている。体力、運動神経に自信がない人は「支えきれないという予期不安」から、また自信のある人は、「こんな簡単な動き、何でもないという過信」から、中心をつかむ前に、筋肉に頼り、コントロール操作をする。で、やたら硬い印象の、何か最後まで行き渡らない物足りなさが残る、また体にもはなはだ悪い動きになるのである。
彼はこの重心移動を繰り返すうちに、次第に「落とす」という感覚、「抜く」という感覚、「楽な」感覚がつかめたらしくようやく「ああ、わかります、ああ、こんなに楽なんだ」と感心し始めた。「ああこれなら膝痛めないですね」とまで言って頂き、自分が何よりも嬉しかったのは稽古を終わるときに「家でもっと練習します」と嬉しそうに帰っていったのには本当に救われる思いだった。放鬆の全貌には、程遠い助言で申し訳なかったが、「お互いに稽古でつかんで行きましょうね」と思うと共に、套路をただ急いで教えるより、こういう基本に戻って、お互いにゆっくりと味わいながら稽古するのが、本来の稽古だなあと反省もした稽古だった。(すみません、この公園での稽古の方々、急ぎすぎてます、最初、8回のみといってしまったので…)
2008年2月12日 武術漫画に感動し…
ようやくここ泰も、中国正月騒ぎもおさまり、平常に戻ってきた。バンコクは華橋、華人の町なので、正月中は行きつけのバーミー屋さんやコピー屋さんも閉まり、不便になる。世界中どこでも華人は元気でたくましいが東南アジア華僑は特に威勢がいいのではないか、泰の財閥もバンコク銀行を始めとして創始者は殆どが華僑である。互助精神、互助組合が発達し、雪だるま式に富を加えていく感がする。
華橋の互助精神で思い出したのだが、もう随分古い漫画だが、『拳児』という中国武術を網羅した素晴らしい漫画がある。松田降智氏が実際に体験した中国武術家との交流の過程や各武術の特色を緻密に描き、また中国拳法の真髄まで大変上手く描かれている漫画である。北京体躯大学に武術志望で留学する日本人青年達は多かれ少なかれこの漫画の影響を受けている。自分も「拳児」がたどった道の一部である北京から河南省の陳家溝と隣村の趙堡村に向かう途中、黄河を渡ったときには胸にじんと迫るものがあった。「そうそうこの後、拳児は警察のとり調べがあった為、車を降りて麦畑を歩いたんだなあ」と陳家溝に向かう途中の麦畑の中で一人夢想にふけっていた。第20代陳氏太極拳継承者の陳自強老師にお目にかかった時も、拳児に描かれていた若かりし頃の陳小星大師に瓜二つなので「陳氏の血というものはこういうものかあ」と拳法以外のところでも感心したりした。陳家溝と趙堡の村が描かれている箇所は何度も繰り返し読んだ。ここで拳児は二つの村の長老に\助けられ、太極拳の真髄である「化勁」を学ぶ。すでに拳児の八極拳は相当のものだったが、長老に「がちがちに固まった泥人形のような自分を捨て、今まで身につけたものを壊す必要がある」と言われ、力に頼らない(というか疲労で頼れなくなる)練習方法の特訓が始まる。200回も最初の日から金剛搗碓を繰り返したり、推手の乱菜花等、厳しい練習を経て、「捨己従人」を体にしみこませていく。これはまさに松田隆智氏が体あたりで、優れた中国武術を体得していく過程なのだと氏の中国武術への熱意に頭が下がってしまう。何事も最初に道を切り開いていく人のエネルギーというのはすさまじいものがある。
再びこの「捨己従人」に戻るが、これは並大抵の努力で身につけられるものではないと痛感している。自分はちっとも分っていないのではないか、こんな事本当に達することができるのかとことごとく落ち込む事が多い。連れ合いと推手の練習をしたときなど身内の気楽さとお互いの水準の低さ(!)からか、つい喧嘩に発展してしまうことは茶飯事で、これで太極拳を志しているといえるのかと自分自身情けなくなることが多い。何も太極拳の稽古上だけではない、日常でも他者の攻撃や「からみ」をもう少し上手く、「化」することができないかと直球専門、ピッチャー返し専門の自分が馬鹿に思え、不全感を感じていた。どうも性格からか、「これはからみだなあ、ちょっかいだなあ、アクティングアウトだなあ」と分っていても、お返しすることを誠実だとどこかで思っていたのだろう、これまでの自分は無視して逃げるか、不必要、不適切に返してしまうかのどちらかであったと思う。ところが去年より試みに推手を自分自身の稽古のつもりで手探りで教え始めて以来、そして土曜日のK先生の稽古を受け始めてから、少し楽になってきた。K先生から「逃げ」を指摘され、まずは「受け止める」ことが必要なのだと教えて頂いてから、自分の中に長らくあった推手での勘違いが次第にはっきりしてきた。「化」は「逃げ」や「はずし」ではなく、まず「受ける」ことであり、そこから相手のエネルギーの方向を転換するのだということだ。わかっているようでわかっていなかった。「無視」して「逃げ」て「力まかせに返す」のでは単なるその場しのぎの防衛であり、相手によっては永遠に続くだろう。
もう一つ。最近読み始めたこれも古い漫画であるが柔道の「YAWARA!」がある。(今頃柔ちゃんでもないだろうが)、ここでも主人公、猪熊柔の祖父であり、師でもある猪熊滋悟郎(\ジゴロと読めるのが素晴らしい!)は「逃げの柔道」を教えない。「力に頼らぬ柔道」、「自然」と言える程度にまで徹底的に自動化された、重力を駆使し、自分の体を100%使いきる「技の柔道」を説く。この柔ちゃんがまた素晴らしくできた可愛い女の子で、奢らず、卑下せず、完璧な自然体である。あまりの自然さ、気負いのなさ、そして相手の力を難なく「化」する能力で、見ているものが「カタルシス」を感じ、「シンクロ」する一本背負いをバンバン、キメていく。隙も、取りつく島もないのである。ただしそこは年頃の女の子である。怒りもあれば嫉妬もある、そして仲間思いのために傷ついた仲間の為につい普段持ちこまぬ怒りをもって戦ってしまう試合がある。一般観衆は彼女のこの普段見せない「気迫」を褒め称えるのだが、祖父の滋悟郎だけが「何じゃ、あの仇討ちのようなくだらない柔道は」と憤慨する。そして\技は全く決まらないのである。この箇所はまさに武術の大切な点をよく描いている。武術における敵とは自分自身であり、他者ではない。体の弱い自分、逃げてしまう自分、怒りに我を忘れてしまう自分、復讐心をもってしまう自分なのである。体が極端に弱かった体重36キロの「キョンキョン」嬢が、全く歯が立たない相手との試合に挑む前に、「こんなにドキドキするのも始めてで、わくわくするのも始めてです、ありがとう」と柔にお礼をいうシーンがある。また体が全く違う相手を見事にすっ飛ばした柔をみて「柔道ってこんなに、人ってこんなに強くなれるんですね」と涙し、彼女はどんどん明るく健康になっていく。自分などはこのキョンキョン嬢と柔との関わりに最も感動してしまう。太極拳に出会う前、病気ばかりしていた自分を、これも父親からの遺伝だからと「諦め」、タイに来たからさらに悪くなったのだと「逃げ」、「怒り」、薬や医者、家族、友人に頼って一時しのぎに何とか「紛らわして」いた事を、『ヤワラ』に出てくる登場人物の変化を見て、思い出し、シンクロしてしまうのだ。単純といえば本当に単純なストーリーであるが単純で何が悪いのか、他に何があるのか、これこそ武術の本質ではないかと開きなおるほど気にいってしまった。(今頃…の感が強い、この漫画は90年代初頭に初版が出ている…自分は本当に「遅れてきたおばさん」である)。
力比べばかりで、しつこいまでのパワーアップを繰り返し、最後にパワーが強いものが勝つストーリーが多い漫画の世界であるが、「拳児」と「YAWARA」は技術と心のパワーアップはするが、力に頼らない、他人との戦いでない、武術の真髄を中心に堂々と据えた、面白い漫画である。
2008年2月4日 一期一会
先週不意に飼うことになってしまった子猫がぴったり寄り添い自分の足の上で眠っているのでやや緊張しながら書いている。小さい頃からずっと大型犬と共に育った自分は(狼少女カミラみたいだが)バンコクに来て以来「ここは犬を飼うには酷だなあ」と諦め、もっぱら公園の野犬とお友達になっったり(いつもと違うところで站椿功をしているときなど、早く気がつけとばかりに体当たりしてきたり、早朝数匹の野犬に絡まれた時など追い払って助けてくれた可愛い奴だった)、日本の実家にも一匹飼ったりして何とか慰めていたのだが、いきなり「猫」だ。しかもペルシャだ。人生何が起こるかわからない。犬でさえ愛がん用というのか、毛脚の長い家庭で飼う様な小型犬は苦手だったのが、長毛種の子猫となるともう腫れ物扱いでただただ、愚かに「猫なで声」をだしてしまっている。飼ったその日からいきなり必死になってベッドによじ登ってきてすぐに枕元で眠ってしまった…しばらくつぶさないかと心配で寝不足が続いたが、毎晩自分がベッドに上がると必ず登ってくるところをみるとつぶされる目にはあっていないのだろう。今日などは椅子に座っているととうとう自分のジーンズをつたって上ってくる技を覚え膝で眠る様になってしまった。何で猫苦手の自分がこの猫を飼おうなどと思い、また猫もこういう人間にどうしてこうも無防備に寄ってきて気持ち良さそうに眠れるのか? 出会いというのか、相性といえばいいのか、犬とか猫とか関係なくただそういう風に決まっていたというしか説明がつかない。中国語での「有縁」、つまり縁があったのだろう。とにかく出きるだけ長く生を真っ当してくださいと願うしかない。
「一期一会」という言葉を今年は念頭において稽古をしている。元々かなりいい加減な人間で、ただ自分の為に好きなだけ太極拳を打っていればよかったのが教える立場になってから、気がつかないうちに自分の言動に生徒さんの心が揺れ、誤解したり、傷つく人もいることがわかり始めてから、自戒している。元来武術の師弟関係は最初はおおざっぱで、自分などどう考えても不条理なことで叱られたり、あるいは全く公私混同した用事のいいつけなどこなしてきたせいか、まあこんなものだろうと受け止め、我慢してこれたのだが、人は皆違うのだ。まして自分の生徒さんは駐在員の方が多い、最初から一緒に練習できる時は限られていると言える。皆で一緒に表演することや試合に出ることを楽しみにして一生懸命稽古されてきた方や、本当に短期間で素晴らしい進歩をされた方が突然転勤の辞令がおりてバンコクを去らなければならない事もある。生徒さんも残念だろうが自分も本当に辛くなる。で、やはり「一期一会」に戻る。この言葉で「これでいいんだ」と自分を励ましている。自分が悔いのない稽古をつけられたら、生徒さんがその後転勤先の地で太極拳を続けるか、続けられないかは生徒さんの意思による。ただ自分のせいで「もう太極拳なんかいい」と思われないように、「ああ、太極拳に出会ってよかったなあ」と思ってもらえる事が願いだ。また自分自身も「稽古した時間は短くとも、基礎力はつけられたな、いい出会いだったなあ、ありがとう」と心から思えるように、「一期一会」を念頭にである。
5月4日 だんまり稽古
この5月から日曜日の練習場を今までのベンジャシリ公園から、本来稽古場であったルンピニ公園に移動し、土日の二日間、時間も以前の6時半に戻した。ルンピニの稽古場は8時を過ぎると日差しが強く、木陰を探すはめになるため
早朝練習の方が体にいい。北京にいく前は、フルタイム以上の仕事抱えながらも
5時半から練習していたのだから、6時半というのは早い時間ではない。だが、この一年は、何だか生徒さんに合わせたり、狭い武術社会の交流の為、下らぬ気をつかったりして、次第に自分もどんどん稽古不足に慣れていき、「これはまずいなあ」という感が否めなかった。
ベンジャシリ公園では、桜道場の会員のみが参加していたのだが、今後は飛び入りだろうが、旧来の古参会員だろうが全部OK、我々が稽古しているときに、興味を持った方は「皆どうぞ」という形でやっている。「泰日太極拳練功会」という名もない、純粋にそのときその場で太極拳を練習したい人が集う集まりで、とても気持ちいい。
だから「教える」という形はとらずに、ただ我々が基本功を稽古するときに、後ろからついてきてくださいという、(それさえも言わなかったが)物言わぬ稽古に切り替えた。
これも意識的に切り替えたのではなく、本来この時間は自主稽古だったので、一人で(あるいは夫と二入で始めていたら)ぱらぱらと後ろからついてくる人がいて、「ああ、こういうのいいなあ」と思ったからである。もちろん以前にブログにも書いた、短期間に総合42式を教えたメンバーからの、引き続き陳式拳を基礎から習いたいという希望と自分の練習時間確保の為の苦肉の策でもある。
こういう事情で、ぼんやりと成り行きから始めた稽古会だが、何だかわくわくしている。
昨日も今朝も、さっさと6時半に開始し、1時間以上の基本功をただ、黙々と続けていられて本当に幸せだった。直線上に基本を打って、折り返し地点で振り返ると、みな汗だくになっているのが見える。動作がまだわからない人も多いのだろうが、基本功が全部終わるまでは、言葉は最小限にして、背中しか見せていない。こういうの嫌だったら去ってもらっていいのだ。練習が終わって質問がある場合は喜んで説明なり、復習なりするつもりだが、稽古時間はただだんまり。
「すみません、いいか悪いかまだよくわからないんですが、今はこういう形取らせてください」と天に祈っている。
一人稽古のようであり、だがしっかりと後ろの人たちから支えられている稽古でもある。感謝。
6月20日 心身への思いやり
昨晩の稽古で、連れ合いも私も、体内部の動きを無視したかのような、関節の限界を超えたような、危険な動きをする若い生徒に真剣に注意した。この生徒さんは、すでに初級レベルではなく、決して動作を覚えることに必死になるがためにこのような大振りな動きをしているわけではなく、彼の耳にたこができるほど我々も同じ注意を繰り返してきたので、つい語気が強くなってしまった。
その流れで止められなくなったのか、今度はその場にいた生徒さん全員に、連れ合いが、「弱い磨きで表面を磨くだけなら本物にならない、強い磨きがかかってこそ、本当に強いものができあがる」という意味のことを続けていた。いわゆる「鍛錬」の意である。
これは自分自身が悩んできたことだからつい熱くなってしまうのだろう。3~4年前の自分の演武のVCDを見ると、穴があったら入りたくなる。すべて自分の身体を酷使するような動きであり、どうもその動きの根底を支えているのが、いやらしい自尊心といえばいいのか、つまらないプライドというのか、現実世界からの逃避というのか、眼法は閉ざしたままで、自己陶酔のような間抜けな顔をしている。
その後、マルチェロ・シドッテイに、「正中線がずれている、意味のない動きが多い」という意のような指摘を受け、黄康輝老師に「お前の眼法をみると精神的な問題がある」と注意され、陳自強老師に初めてお会いして、新架一路を見せたときに、「打法はいいが、体力に問題あり」と笑われたのが、今ではよく分る。あの頃は、今より練習時間は多く、太極拳を打つのが楽しかった頃なのだが、体への反映がなく、健康状態があまり改善されなかったのには、本当に納得してしまう。体内部の動きに注意を払わない限り太極拳は無効なのだ。
教え始めてこちらが真剣に悩むのは、生徒さんの怪我であり病気である。こちらは、道場でのたかだか週1-2回の稽古で「健康」になることなど期待していない。稽古で習ったことを自分で咀嚼するような練習を、道場を離れて日常の世界でつまない限り、健康などつかめやしない。真の健康とはそんな安物ではないからだ。今生きていること自体が奇跡のようなこの星にいて、心身の健康を保つことがどれほど大変なことか、まじめに考えている人がどれほどいるのだろうと首を傾げたくなるほど、今「健康」と「癒し」という文字は大安売りである。だからこそ、その奇跡への様々な道の一つとして、太極拳もあるのだが、自分ができることなど、その紹介に過ぎない、牛を水のみ場につれていくことはできるが、飲むのはその牛自身だ。
私の程度の低い注意などはともかく、生徒さんがこれからも太極拳で出会える仲間や老師に指摘を受けたときに、素直に受けいれ、感謝する「空」の心を保つこと、それを邪魔するものが何であるのかまで、掘り下げていかれることを願ってしまう。心を虚にして「大愚」になることはとても難しい。耳の痛い言葉ほど「有り難い」のだ。
2008年6月1日 自主稽古
ルンピニ公園に週末稽古を移してからはや一ヶ月、一度ナコンサワンへの太極拳旅行にでかけたため、一回週末が抜けたが、黙々と基本功の稽古を6時半より続けている。今朝は八卦掌の人達が少人数だった為か、「こちらの稽古場を使ってください、我々も一緒に陳式を今日は練習します」と尊敬する李衛東老師の八卦掌チームから親切な声をかけていただき、広々とした場所で稽古をさせて頂いた。感謝である。
厳密に言えばこの八卦掌の研究会には我々も入っており、李老師が来タイされるときは、いろいろとご教示を頂いている。李老師の高潔で暖かいご人格と功夫、稽古への厳しい意志、そしてもうすでに仙人になられたかの様な生活を、このチームの主要メンバーは大変尊敬し、老師がいらっしゃらない9ヶ月を、主要なお弟子さん達はしっかりと守っており、まさに武術での師弟関係のお手本をみているかのようである。
もし自分が太極拳を最初に始めておらず、この老師に先に出会っていたら、或いは中国陳家溝で陳氏太極拳に出会っていなかったら、今頃きっと一心不乱に八卦掌を稽古していただろうと、ある意味で、残念に思うぐらい、この李老師とそのお弟子さん達はまぶしい存在である。特に若い男性のお弟子さん二人は、なかでもスバ抜けており、技の高さのみならず、稽古の厳しさ、人格、礼儀正しさ等々、あらゆる方面において頭が下がる。朝も早くからの自主稽古に、その後は生徒さんたちを10時近くまで指導し、その後また仲間との稽古・・・、まさに李老師の「稽古は稽古場での稽古などわずかなもので、それ以外の時間が本当の練習です」との言葉どおりの毎日を送っており、違う次元にすでに入っている感を受ける。
話はまた朝稽古にもどるが、この週末での稽古は一ヶ月、いや金、土に開いていた42式太極拳稽古から数えれば、すでに四ヶ月となる。
殆どが日本人で初心者である自分の道場と比べると、ここのメンバーは初心者は少ない。が、それにもかかわらず、基本への意識が大変希薄であり、なかには基本功の時は、その場にいるにも関わらず参加しないで、套路稽古にはいったとたんにはいってくる人もいる。またこちらに慣れてきたこともあって、最初は静かだったのだが、隙あらば、脱線話をはじめ、わずか1時間ほどの基本功を続けられない人もいる。さらに基本功が終わり、連れ合いが「ここからは自主稽古!」といっても、困ったように、何もはじめず、すぐに套路の順序を聞いてきたり、さっさとお茶とおしゃべりにはいってしまったり、あるいは仲間と「じゃあ一緒に!」とお互いを見合いながら始めたりと・・・一人での練習などおそらく体験したことがなかったのだろうと推察される。
これは、5年前の自分もそうだったからわかるのだが、先生が教えない限りは稽古でなく、音楽と仲間がなければ套路練習ができないというのが、残念なことにルンピニ公園での殆どの太極拳グループの文化である。基本功や、単練習、套路の一人稽古などの土壌が育っていないため、我々のいっている意味がわからないのである。
自分も、以前この八卦掌の稽古場で早朝まだ暗いうちに、黙々と自主練習をされる老師とお弟子さんの稽古風景に出会い、ショックを受け、その後北京や陳家溝で、「このような自主練習が武術本来の稽古なんだ」と痛感するまでは、本当にわかっていなかった。老師にポーズを少し直されて稽古をつけてもらった気になり、仲間と団体練習をすることで練習した満足感を覚え、テストや試合、表演でいい結果を頂くことで、安心していたのだろう・・それでもいつも心の片隅に「これが太極拳ではないだろう、これじゃないだろう、違うだろう」と疑惑が頭をもたげていたことは確かである。
願わくば、この朝稽古でのメンバーが(一人でも十分だから)自主練習による疑問や困難に出会い、それをお土産のように引っさげて、一週間後あの場に戻ってきてくれることを期待している。
2008年5月28日 猫族讃歌
先日「自分は、最近は楽を重んじ、エネルギーセーブしながら、爪だけは研いでいる怠慢な猫ではないか」と書いた。これは半分は我が家の猫を毎日みているうちに、洗脳されてきた結果の願望なのかもしれない
現在家には2匹の猫がいる、一匹は6ヶ月のペルシャ(チンチラの方が近いかな?)で、もう一匹はアメリカ生まれのスノーベンガルである。ペルシャとベンガルとは、まさに対極にいるような種類で、長い被毛と短い脚、しっかりとした肩と胸部をもち、猫というより、狸に近く(?)殆ど泣かないペルシャと、すばらしく長い体に長い脚、高い鼻、細身の体はすべて筋肉かと思わせるチーターのようにしなやかなベンガル(10ヶ月)、この2匹のじゃれあい(喧嘩?)がすさまじい・・
このベンガルは元来のベンガルと違って、白子であるせいか?性格は大変おだやかであり、自分からは殆ど戦いを仕掛けないが、反射神経と運動能力は、やはり素晴らしく、感動ものの空中バク転に強打の猫パンチをみせてくれる。片や、どう考えても身体能力もリーチも違いすぎる相手に、ペルシャは頭脳を駆使し、不意討ち、騙し討ち、太極拳でいえば、カオという肩でぶつかる攻撃に、目潰し等々、技のレパートリーは広く、「ウ~~ム」とこちらを唸らせるものがある。まさに先天的能力に対する後天的な技と意志の展開といった趣である。ペルシャは先住猫としてのプライドがあるせいか、自分から戦いをやめることを、まずしたくないのか、相手の持久力が持たないような(ベンガルが遊び疲れて、さあ寝ようという)時に襲いこみをかけている。立派なものである。まさに己を知るとはこういうことかなあと毎日感動している。
前置きが長くなってしまったが、猫は己をよく知っているものだなあとつくづく感心する。病気や怪我のときはじっと一人で耐え、ひたすら睡眠による回復を心がける。日光浴に、毛玉除去や胸やけ予防の為の草の摂取、朝一番の儀式のようなストレッチに、ストレス解消の爪とぎに、鎮静と健康を目指した丁寧なグルーミング・・・またかなりの規則性を重んじる、修行僧のような地道な生活である。
人間が、不調のときにするべきことはこういうことなのだなあと、いろいろと教えてくれる。
自分も含めての反省だが、病院勤務時代から、いや太極拳の世界でさえ、自分の心と身体に関するケアが、まったくわかっていないのではないかと思う人に出会うことがある。ちょっとした病気や不調に慌て、病院に駆け込み、薬を多用し、医師に「治してもらう」ことを期待し、治らないと思うと医師や病院、周囲の人への責任転嫁となり、さまざまな医師や各療法、宗教等のショッピングが続く。何が本来の原因で、どういう人生観や生活観、また態度から、現在の自分に至ったのかには注意を払わない。いや原因を知りつつも、否認の方が都合がよいのか、周囲からの援助を期待する。本当に治したいのか、本当に変化を望んでいるのかと首を傾げたくなる場合がある。調子が悪ければ、まず徹底的に「休む」ということ、生活様式に問題があれば、まずはその生活を改善すること、人間関係に問題があれば、まず一人になって考えてみることという、基本的なことをすっ飛ばし、「休む」為にどうでもいいような理由や、他者の認定が必要であり、安易な薬やサプリメントの乱用、次に続かないような治療法や、お金で簡単に手にはいる癒し?で一時の回復、気分転復を図り、場を変え、人を変え、同じことを何度も繰り返しているうちに、自分本来の願望まで捻じ曲げ見失っていってしまう。
人間はそんな弱いものではなかったはずだと思うのだが、どうも猫族の方が人格的にも、上等な種類なのではないかと思ってしまうこのごろである。
2008年5月27日、 マイペースでいこう!
先週の日曜日、道場の生徒さんが表演のための太極拳服を作る為に
ルンピニ公園に集合した。殆どが新しい生徒さんばかりだったのだが、すでにその数15名ほどになっており、結構な大集団となった。公園で一直線に黙々と基本功を積むグループが珍しいせいか、また陳式になじみが薄いせいか、我々のグループはかなり人目をひいたらしく、後でいろいろ好意的なお話を聞いた。また生徒さんにとっても、暑さには閉口したようだが、外での早朝稽古の楽しさを味わういい体験だった様だ。私はあいにく所用があり、つきあえなかったが、帰り道に、お茶会から始まって気がついたらお昼、最後はショッピングまで続いたらしく「帰ったら3時半過ぎてました」と翌日道場で大笑いとなった。こういう親睦も兼ねた稽古会もたまにはあっていいなと思う。(親睦が目的になると本末転倒でちと困りますが・・)
今日も生徒さんとの話しあいので確認できたのだが、最近「場」が育ってきており、古いメンバーと新しいメンバーとのシェアリングが大変スムーズにいっている。
元来太極拳を習いにくるかたは、一人で行動する独立独歩型が多いのだが、現在のメンバーはウルトラ・マイペースである。自分の進歩に焦点を合わせ、他者の進歩に足をとられない方が多く、アドバンスメンバーは後輩の面倒見がよく、新メンバーは素直に技術を吸収していく、まさに分かち合いが出来ている。
これは道場だけの話でなく、中国留学時代にも思ったのだが、人と競争するタイプの人は伝統太極拳はどうしても続かない、他者の進歩にあせり、比べることで、不必要に緊張し、卑下し、不遜になり、また、不安になり、自滅していく。太極拳の真の面白さ、たとえば、終わることのない円運動エネルギーの素晴らしさや、不思議に感動し、その運動が自分の精神性に溶け込んでいく前に、人間関係の煩わしさや、自己不全感にとらわれ、苦しくなってやめてしまう。これは大変残念なことである。
だから現在の道場生が、淡々と自分のペースを保っていることに、自分は感動している。
自分は自分である。鷹はトラになれない、ウサギは蛇になれない、それでいいのだ。自分が何であるか太極拳を通じて探っていくこと、すでに分かっている方はその自分を太極拳で活かしていく、そういう風に太極拳を味わってほしいと願ってしまう、
さて、ではそういう自分は、ナンダロウ、以前は干支にちなんで、努力を重ねる鈍重で頑固な牛だと思っていたのだが、最近はどうもそうではなく、正直に告白するならば、楽であることを重んじ、普段はエネルギーをセイブしながら、爪だけは研いでいる、怠慢な猫でないかと感じている。10年前の自分ならこういうイメージは受け入れ難かったが、今は素直にそう思えるから不思議なことだ。
不思議な体験はこれからも続くのだろう・・・
2008年5月19日 縁
先週末は、ナコンサワンでのタイの楊式太極拳交流大会に招待され、夫と二人で陳式の演武という任務と、この大会自体の過密なスケジュールのため、睡眠不足の疲れる週末になってしまったが、ナコンサワンは大変気持ちのいい街で、客を迎える太極拳協会の人々も本当に暖かく、中国杭州の西湖をしのばせる巨大な池のほとりでの早朝合同練習は素晴らしかったので、もう少しゆっくり滞在したい思いだけが残った。
幸せなことに、今週は3連休だったため、ルンピニ公園での稽古三昧だった。週日は本業の為に稽古不足を嘆く夫も、大変満足した3日間で、この5月から再開したルンピニ公園の早朝稽古は、やはり格別である。
我々が稽古をしている場は、楊式伝統拳の「永年太極拳組」というタイで最も多きなチームと、タイ国八卦掌協会の稽古場との間で、どちらのチームに属しているのかわからないような、まさに隙間を縫って練習しているのだが、なぜかこの広場は太極拳や武術家のブラックホールで、「縁」としかいいようがないのだが、世界中から、旅する形意八卦、楊式、呉式、陳式伝統拳等の武術家が、この広場で足を止め、表演し、共に稽古をするスポットになっている。お陰で我々にとっても大変実りが多く、長い付き合いとなった同志もいる。おそらく「気場」がいいのだろう。「ここが一番稽古ができる感じがした」、「この広場での稽古風景が他と違っていた」とコメントしてくれたマスターもいる。
おりしも先週から道場の生徒さんの友人で、太極拳一筋に一生をささげてきたようなアメリカ人の太極拳家が二人タイを訪れているのだが、着いた日から我々の道場を見学、、例にもれず、翌朝ルンピニ公園のこの広場で表演となり、その後ルンピニ公園通いが続いている。推手の名人でもあり、すでにルンピニ公園での推手の稽古に引っ張りダコになっている。
縁というのは素晴らしい、同じ武術を愛するもの同志、人生に関する価値観が似ているせいか、あまり言葉を必要としない。今朝の道場で、我々の稽古を70歳を過ぎても少年のように熱く、暖かいまなざしでみてくれるこの偉大な先輩に畏怖感と尊敬の念が湧き出てくる。
どこかで年をとることをとめてしまったようなこの太極拳家とその細君は、本業の仕事に疲れ、稽古時間が充分取れないと嘆く夫に、「人生は短いんだよ、無駄に時を過ごさないように」と暖かく危ない激励を飛ばしていた・・・